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【37話】リモートモラハラ

小説版

私の父と母がモラハラ夫と私を引き離すことに成功したわずか数時間後に、私とモラハラ夫は、再びやり直すための約束を交わしたことを前回ご紹介させていただきました。

モラハラ夫が私と住んでいたマンションを引き払うのに必要な日数は3日間。

その間、私は父と母と久しぶりに家族3人で過ごしました。
3人揃って食事をし、私が当時住んでいた都市から近くにある観光地に行きました。

父と母は私に終始気を遣ってくれていました。

当の私はというと、モラハラ夫と物理的な距離が離れてしまうことの寂しさや、10年以上も勤務した会社を突然退職することになったことから精神的にかなり落ち込んでいました。

しかしながら、私が母に助けを求める以前の数ヶ月間抱えていた絶望は、希望へと変化していました。

モラハラ夫が今回の一件により変わってくれたことを確証したからです。

その証明として、私が実家へと旅立つ前日、モラハラ夫が私にこんなメールを送ってくれました。

「今回、お父さんとお母さんが来たことによって、○○と離れて暮らすことになってしまったけど、僕は、お父さんが認めてくれるようにこれから1年間頑張って自分を変えていくよ。そして、必ず1年後に○○を迎えに行くから待ってて欲しい」

間違いありません。モラハラ夫は今回の一件があってから、それまでのモラハラがすっかりと抜け落ち、優しく思いやりのある男性へと変化してくれたのです。

そうして私は、様々な変化に落ち込みはしたけれども、1年後にはモラハラ夫と再出発できることを確信して、父と母とともに実家へと戻ったのです。

実家に戻ってからの私は、就職活動を始めるまで約3ヶ月間、少しのお暇をとることにしました。

そのため、モラハラ夫と私は、連日昼夜問わずメールや電話でやり取りをしていました。

モラハラ夫は私に「引っ越しが本当に大変だったんだよ。だけど、まあなんとかなったよ」「久しぶりに実家に戻ってきて、俺も両親に色々食べさせてもらってるよ」「新たな環境で俺も仕事頑張るよ」と、前向きな発言やメールばかりをくれました。元来、モラハラ夫は大のお喋りな男性でしたので、電話ともなると一回当たりの時間が毎回3時間にも及びました。

何度も言います。モラハラ夫は変わったのです。

と、思ったのも束の間・・・。

皆様も予想はしていたかと思いますが、モラハラ夫から、優しさや思いやりのメッキが徐々に剥がれてきたのです。

はじめに言い出したことは、モラハラ夫の実家のことでした。

以前にご紹介していますが、モラハラ夫は自分の親との関係がよくありません。

モラハラ夫は、私と住んでいたマンションを引き払い実家へと戻っていました。モラハラ夫の実家は、私たち夫婦が住んでいたマンションから電車で30分ほどの場所にありました。

さほど遠くない場所に実家があったにも関わらず、モラハラ夫が私と一緒に生活をしていた当時、モラハラ夫の実家に行ったことは一度もありませんでした。

また、モラハラ夫の両親も、モラハラ夫と私がどこに住んでいるのかを知りませんでした。

そんな関係性の親子がひとつ屋根の下に生活するのです。ストレスが溜まるのも当然です。

そんな実家でのストレスを、モラハラ夫は徐々に私にぶつけてきました。

まずは、実家にいることで体調に異変が生じてきたことを訴えてきました。

「実家の空気が合わない。実家のハウスダストのせいで呼吸が苦しい。実家の環境が劣悪すぎてお腹が苦しい。不眠症になってきた」

こんなメールを昼夜送ってくるようになったのです。

私もはじめのうちは「大丈夫?○○君の体調が心配です」と返信していました。

ところが、メッキの剥がれ始めたモラハラ夫です。
スイッチが入ってしまうと、もう誰も手を付けられません。

モラハラ夫は自分がそうなった原因を、これまでしてきたモラハラと同様、すべて私のせいにしてきたのです。

 「あなた、とんでもないことをしてくれましたね」

「今回、あなたが親を呼んだことで、幸せからどんどん遠くなっていってるの、気が付きませんか。いつもながらあなたは自分が不幸になることをするのが得意だね」

こんなモラハラが、連日昼夜問わず、電話やメールでどんどんくるのです。

そして、モラハラ夫からのモラハラメールや電話に何をどう返そうと、私がモラハラ夫を論破することはとうてい叶わず、私は、再び絶望を抱くようになってきました。

また、当時の私は会社を辞めたばかりで、就職活動もしておらず無職でした。

そのため、モラハラ夫からのモラハラによる絶望だけでなく、社会からの疎外感も加わり、自分はこの世に必要の無い人間なんだ、生きていても意味がないと、本気で死ぬことも考えるようになっていました。

そんなある日のことでした。

皆様は、私がある就職試験を受けるために専門学校に通っていたエピソードを覚えているかと思います。

実は、モラハラ夫と離れる直前、一つの企業の試験を受けていました。

その一次試験に通過したという通知が届いたのです。

私が試験を受けた企業の所在地は、モラハラ夫と一緒に暮らしていたエリアにありました。

一旦、実家に帰ってきたものの、この企業の今後の試験に合格すれば、再び実家を離れなければなりません。

私は父と母にこの就職試験の一次に通過したことを告げました。

両親はそのことをとても喜んでくれました。

そして、もしも私がこの企業に就職して実家から離れることになっても、それは構わない。むしろ精一杯応援するとまで言ってくれました。

私は、将来にほんの少しの希望を抱き、飛行機に乗り、実家から遠く離れた企業の二次試験へと向かったのです。

ちなみに、二次試験は面接試験でした。

試験の前日は、ビジネスホテルに1泊することになっていました。

モラハラ夫と会える距離に来ていたものの、その頃のモラハラ夫は、強い絶望感から、外出さえも拒んでいたため、私たちは会うことはしませんでした。

けれども、そんな時もモラハラ夫との連絡は必須なため、私たちは試験の前日にもかかわらず、絶望的な言葉を延々と述べられるモラハラ夫によるモラハラ長電話をしていたのです。

しかしながら、さすがに私も自分の将来がかかった試験の前日です。
せっかくほんの少しだけ希望の光も見えてきた頃です。

これ以上、モラハラ夫のモラハラ長電話を一晩中受けていてもキリがないと思った私は、モラハラ夫に対して「明日は大事な試験なの、そろそろ寝かせて」と告げたのです。

その一言がさらにモラハラ夫のモラハラに火を付けてしまったようです。

電話は切らせてくれたものの、そこから怒濤の如くモラハラメールを送りつけてきたのです。

「お前は自分だけが良ければそれでいいんだよな。俺は実家のストレスで寝れない日が続いてるのに、そんなことも思いやってくれないんだな」

私は「そうじゃない。そういうことじゃなくて、私がこの試験に合格したら将来○○君を楽にさせることもできるんだよ。自分のためだけじゃなくて○○君の将来のためなんだよ」と言い、自分の私利私欲のために寝かせて欲しいと言っているのではないことを返信しました。

けれども、皆様もこれまでを通してご存知のように、そんな言葉はモラハラ夫にはかすりもしませんでした。

結局、私はモラハラ夫によるモラハラメールでの睡眠妨害により、一睡もすることなく二次試験の面接会場へと向かったのです。

結果は最悪でした。

自分でもはっきりとわかるほどボロボロで、不合格は間違いありませんでした。

私の中に差し込んでいた希望の光は、闇に閉ざされてしまいました。

空港からの帰り、父が車で迎えに来てくれていました。

しかしながら、私の心は絶望に溢れており、父にこんな言葉を発してしまったのです。

「生まれてこなければ良かった」

その言葉を聞いて父が一言言いました。

「生まれてこなければ良かったなんて言うな」

父の目からは一筋の涙が流れていました。

私は、あんなに私のためにしてくれた父に最低な発言をしてしまったのです。

清武 茶々

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